ドラマや映画で引っ張りだこの女優、長澤まさみさん。
有名人の親は有名人とは限りませんが、長澤まさみさんの父親はサッカーの元日本代表で長澤和明(ながさわ かずあき)さんで有名な人です。
今回は、長澤まさみさんの父親、長澤和明さんの画像に経歴、現在は何をしているのか、サッカー日本代表監督としての評判を紹介します。
また、娘の長澤まさみさんと父親の親子エピソードから、長澤和明さんはどんな人か見ていきましょう。
【画像】長澤まさみの父親は長澤和明
長澤まさみさんの父親、長澤和明さんは1978年にサッカー日本代表に選ばれた有名な人です。
・名前 長澤和明(ながさわ かずあき)
・生年月日 1958年2月4日
・出身地 静岡県清水市
・身長 177センチ
長澤まさみさんが生まれたのは長澤和明さんが30歳の時です。
長澤家は父親の和明さん、娘のまさみさんのほかに、母親とまさみさんの兄の4人家族です。
では、長澤和明さんについて詳しく紹介します。
長澤和明の経歴
長澤和明さんはサッカー人生と言っていいくらい、学生の頃からサッカーで活躍しています。
静岡県立清水東高等学校でサッカー部に入り、大きな大会を経験。
- 1973年全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会3位
- 1974年全国高等学校サッカー選手権大会の準優勝
どうやら清水東高等学校は、サッカー強豪校のようです。
強豪校なら部員数も多いでしょうし、試合のメンバーに選ばれていたとなると高校生の頃からサッカーで輝いていたと言えますね。
清水東高等学校を卒業、東京農業大学に進みサッカーも継続。
そして東京農業大学中の1978年にサッカー日本代表に選出されました。
ちなみに長澤和明さんのポジションはMF(ミッドフィールダー)です。
長澤和明さんは1978年~1985年までサッカー日本代表として、9試合出場しています。
東京農業大学卒業後は1980年にヤマハ発動機に就職し、日本サッカーリーグ所属のヤマハ発動機サッカー部に入りました。
サッカー日本代表として長澤和明さんは頑張っていましたが、1990年に膝の怪我のため31歳でサッカー選手を引退しています。
ずっと続けていたサッカーができなくなるのは、さぞかし辛かったのではないでしょうか。
しかし、長澤和明さんのサッカー人生はまだまだ終わりません。
引退後は監督で活躍
膝の怪我でサッカー選手を引退してしまった長澤和明さんですが、監督としてサッカーに関わっています。
1991年にヤマハ発動機サッカー部の監督に就任し、1993年にチームが「ジュビロ磐田」へと生まれ変わったので長澤和明さんは「ジュビロ磐田」の初代監督となりました。
それから、サッカーの監督として様々なサッカーチームの指導をしています。
・1995~1996年 鈴与清水FCラブリーレディース監督
・1997年 本田技研工業サッカー部監督
・1999~2001年 ソニー仙台FC監督
・2001~2007年 常葉学園橘高等学校サッカー部監督
・2008~2012年 浜松大学サッカー部監督
・2013年 グランセナ新潟FC総監督
・2014年 北越高等学校サッカー部監督
・2015~2017年 清水東高等学校サッカー部 ヘッドコーチ
20年以上も監督として活躍できているということは、それだけ長澤和明さんの監督としての評判が良かったとみれますね。
Jリーグから高校サッカーまで幅広く指導している長澤和明さんですが、清水東高校のコーチを辞められたあと、浜松フットボールアカデミーのジュニアユースチームの指導もしていました。
このチームは15歳以下の子供たちのチームです。
さらにまさみさんの兄も、和明さんと一緒にサッカーの指導をしていた時期があったようです!
「やりたいことがあるんで、その仕事とかけもちしているんです。『ヤマハジュビロサッカーサクール』というところで、父親の下でコーチ修行をしています。園児から高校生まで、幅広くサッカーを教えていくのが夢なんです」(週刊現代から引用)
http://todaystopics.seesaa.net/article/46610895.html
息子からも信頼されているサッカー指導者なんですね。
後で監督としての評判を詳しく紹介します。
【画像・長澤まさみの父親】長澤和明は現在解説者!
2023年現在の長澤和明さんはサッカーの解説者をしています。
マリンパルで参戦します。
— Chiz MOCHIZUKI (@chizmap) July 16, 2022
解説は長澤和明。(むむむ………..。)#spulse
長澤まさみさんといえば【さわやかを全国区に広めた】人です。
— はとぽっぽ (@hatopoppo74) March 24, 2021
父はジュビロの初代監督で超激辛解説の長澤和明氏。
サッカー中継なのに、ところどころで娘さんの情報が入ります。
#ふくわうち
#長澤まさみ
#長澤和明
#ジュビロ磐田
長澤和明さんは超激辛な解説をされるようです。
日本代表選手で活躍し監督をしていた分、厳しく見てしまうのが癖になっているのかもしれません。
中継で長澤まさみさんの情報を話してしまうのは、娘を溺愛している証拠ですね。
2019年には長澤和明さんが農業をしている情報もありました。
しかし、2019年以降で農業の投稿がないこと、プロフィールに「農作業を止めてる伯父さん」とあるため、現在は農業はお休みしている可能性が高そうです。
長澤和明さんの顔写真は乗っていないので本人と断定はできませんが、農業と一緒にサッカーの投稿がしてあるため本人の可能性は高いでしょう。
こちらのInstagramを見る限り、梨やミカンを育てています。
長澤和明さんの出身は静岡県清水市ですし、梨の箱に「清水の果物」とあるので信憑性は高いと思います。
長澤和明さんの実家は農業営んでおり、農業大学の出身は家業のためだったのかもしれませんね。
そして、長澤まさみさんは実家でミニチュア・ダックスフンドを飼っていると公表しています。
長澤和明さんのInstagramにもかわいいミニチュア・ダックスフンドが投稿してあるため、長澤和明さん本人のInstagramの可能性は高そうです。
人生のほとんどをサッカーに捧げている長澤和明さん。
やっぱり、農業よりサッカーの仕事のほうが面白いのかもしれませんね。
サッカー日本代表監督の評判
長澤和明さんが監督をしたチームは好成績になっており、サッカー日本代表監督としての評判は高いです。
まず、すごいのが「ジュビロ磐田」の初代監督としてチームをJリーグに昇格していることです。
Jリーグでは上位、下位リーグの間で成績によって入れ替えるシステムのため、昇格するのは簡単なことではありません。
監督はチーム全体の技術を上げるだけでなく、チームの団結力を作っていく必要があります。
長澤和明さんのこれまでのサッカー経験を存分に、チームに貢献したのでしょうね。
現在でも監督をしてほしいと思う人がいるほどの評判です。
長澤和明さんに監督オファー出せないかなぁ。
— gon_goal9939 (@a_yohsuke) February 20, 2022
監督をしたチームの成績
長澤和明さんは、1991年から2017年までサッカーチームの監督として活躍しており、数々のチームを好成績へと導いています。
・1991年 日本サッカーリーグ ヤマハ発動機サッカー部【3位】
・1992年 ジャパンフットボールリーグ ヤマハ発動機サッカー部【優勝】
・1993年 ジャパンフットボールリーグ ジュビロ磐田【準優勝】
・1995年 日本女子サッカーリーグ 鈴与清水FCラブリーレディース【3位】
・1996年 日本女子サッカーリーグ 鈴与清水FCラブリーレディース【4位】
・1997年 ジャパンフットボールリーグ 本田技研工業株式会社フットボールクラブ【4位】
・1999年 日本フットボールリーグ ソニー仙台FC【5位】
・2000年 日本フットボールリーグ ソニー仙台FC【5位】
日本女子サッカーリーグは10チーム、他のリーグは16チームほど出場していますので、かなり上位に導いており、好成績と言えます。
長澤和明さんのサッカー元日本代表としての監督力は高いですね。
長澤まさみと父親の親子エピソード
長澤まさみさんと父親の長澤和明さんは親子仲がとてもいいようです。
そのため、親子エピソードがたくさんあったので紹介します。
長澤まさみの芸能界入りは父親のおかげ
父親が「ジュビロ磐田」の監督をしていたおかげで、芸能人とのつながりがあり長澤まさみさんは芸能界の道へ進めました。
長澤まさみさんの芸能界入りの相談を、「ジュビロ磐田」にいた中山雅氏さんの妻で女優の生田智子さんにしたのがきっかけなのです。
父親の長澤和明さんが「ジュビロ磐田」監督をしていたから、中山雅氏さんの妻につながれたわけですから、長澤まさみさんの芸能界入りは父親のおかげと言っていいでしょう。
長澤まさみさんが女優になりたいと知った母親が、生田智子さんに直接相談したようなので、家族ぐるみで仲が良かったと思われます。
生田智子さんが東宝芸能所属だったため、新人女優のための「東宝シンデレラオーディション」を受けるアドバイスをしたところ、見事長澤まさみさんが当時史上最年少の12歳でグランプリを獲得しています。
長澤まさみさんと両親の行動力が、今の活躍につながっているのだから両親には感謝ですね。
父親はアッシー
長澤まさみさんは父親に甘え放題の娘だったそうで、父親をアッシーくんにして、いろんなところに連れて行ってもらっていたそうです。
長澤まさみさんは2009年に出演した映画『群青 愛が沈んだ海の色』でのインタビューで、親子仲のエピソードを語っています。
「すごく仲良しですよ。『どこどこ行って』って、お父さんをアッシーみたいに使っていたこともあります」
引用元:シネマトゥデイ
かわいい娘のためなら、行きたいところは連れて行ってあげたくなりますよね。
娘を大切に思う素敵な父親ですね。
ちなみに父親をアッシーくんのしていたのは、実家に暮らしていた時で東京に上京するまでのことです。
長澤まさみさんはファッション雑誌「ピチレモン」の専属モデルやドラマのレギュラーが決まったため、中学2年生の時に上京しており一般的より早く家を離れています。
長澤まさみさんは小学6年生から芸能活動を始めていますし、早く家を離れるかもしれないと思っていたからこそ、お願いされたらなんでもしてあげようと父親ながら考えていたかもしれません。
長澤まさみはサッカー嫌い
長澤まさみさんが小さい頃は父親の影響で、サッカーが嫌いだったそうです。
サッカー中の父親はとても厳しく怖かったため、長澤まさみさんはサッカー嫌いになっています。
@maekawa20
— ( ̄^ ̄) (@KSoccer06270627) February 3, 2013
ほんと可哀想です!長澤まさみがサッカー嫌いな理由は小さいときに、父親の試合見に行ってめっちゃ怒鳴ってたかららしいですww
家で見るやさしい父親が、外で怖い顔して怒っていたらびっくりするでしょう。
サッカーは父親を怖くさせるものと感じたのかもしれませんね。
しかし、現在親子関係は良いので大人になった長澤まさみさんは、父親のサッカーに対する厳しさはプロとして必要だったと感じでいるかもしれません。
父親が教えるサッカー部員にミサンガ
2005年に長澤和明さんが監督をしていた常葉学園橘高校サッカー部が全国大会に初出場するからと、長澤まさみさんがサッカー部員にミサンガを送っています。
長澤まさみさんはすでに芸能人ですから、応援に行くと父親とサッカー部員に迷惑がかかると考えてミサンガで応援することにしたようです。
応援をしたいと思うのですから、小さい頃のサッカー嫌いはなくなったのでしょう。
父親としても、監督をしているサッカー部員を娘が応援してくれるのはとてもうれしかったでしょうね。
親子愛が感じられます。
長澤まさみの海外撮影反対で親子喧嘩
ドラマ撮影のために海外へ行く長澤まさみさんに対して、長澤和明さんは「行くな!」と大反対をし親子喧嘩をしています。
長澤まさみさんは2007年に放送されたドラマ「メ~テレ開局45周年記念ドラマスペシャル・ガンジス河でバタフライ」で主演として選ばれ、ガンジス河に飛び込むシーンなどを撮影しています。
ガンジス河は世界でも汚染されていると有名な河です。
撮影で、実際にガンジス川でバタフライに挑戦するという長澤は、両親にインド行きを心配されたそうで「父に止められまして、けんかをしました(笑い)」と明かす。
引用元:ORICON NEWS
撮影のため一人で行くわけではないですが、海外はやはり日本より治安が悪いところが多いですし、ましてや汚れている河で撮影すると聞いたら、心配して行くのを止めてもらいたい気持ちが出てしまうのは親として普通かもしれませんね。
こんな濁っていて底は全く見えない河に飛び込んでいるなんて、長澤まさみさんの女優魂は本当に素晴らしいと思います。
どんな撮影でも頑張れる長澤まさみさんだからこそ、今活躍できているのかもしれませんね。
【まとめ】長澤まさみの父親|長澤和明について
長澤まさみさんの父親は長澤和明さんで、元サッカー日本代表の選手で指導者でした。
2023年の現在はJリーグの解説者と実家で農業をしています。
サッカーの実力だけでなく、監督としてたくさんのチームを好成績へと導いており、指導力も素晴らしいようです。
長澤まさみさんが話す父親のエピソードを見る限り、親子仲はとても仲が良く、娘思いの素敵な父親です。
これからも長澤まさみさんから、父親の長澤和明さんとの仲がいいエピソードが聞けるかもせれませんね。