日本代表&主将に選ばれ、リーダーシップを持ちながらチームを引っ張っていく姫野和樹(ひめの・かずき)さん。
イケメンでいつも元気な姫野和樹さんですが、幼少期はとても極貧な環境で育ったそうです。
今回は、
- 姫野和樹の生い立ち
- 姫野和樹の両親について
など、姫野和樹さんのこれまでの生い立ちを昔の画像とともにご紹介します。
極貧エピソードもあわせて紹介しているので、ぜひ最後までごらんください。
姫野和樹の生い立ちから現在まで!
日本ラグビーワールドカップの選手に選ばれ、守護の要としてラグビー界のトッププレイヤーとなった姫野和樹(ひめの・かずき)さん。
2023ラグビーワールドカップでは主将に選ばれており、チームを引っ張る中心的存在ですよね。
そんな姫野和樹さんは中学時代からラグビーを始めており、すでに頭角をあらわしていました。
年齢:29歳(2023年9月現在)
出身:愛知県名古屋市
身長:187cm
所属:トヨタヴェルブリッツ
高校・大学時代もラグビーでチームの勝利に貢献し、いまとなっては外国の選手にも負けない大きな身体で、太くてたくましい腕や脚から生まれる前進力はもはや世界クラスです。
相手の選手からタックルをうけても、それを弾き飛ばすほどのパワーでチームの勝利をなんども勝ち取ってきました。
得意技のジャッカルは流行語大賞にもノミネートされるほどの有名ぶり!
世界で活躍できる実力の持ち主で、ラグビー界になくてはならない存在にまでのぼりつめた姫野和樹さんですが、ここにいたるまではかなりの困難を乗り越えてきました。
というのも、かなりの極貧家庭で育ったのです。
よく乗り越えてきたなという印象が強く、感動さえ覚えるレベルです!
姫野和樹の経歴
まずは、簡単に姫野和樹さんの経歴をみてみましょう。
年月 | 経歴 |
2007年3月 | 名古屋市立岩塚小学校卒業 |
2007年4月 | 名古屋市立御田中学校入学 |
2010年4月 | 春日丘高等学校入学 |
2013年4月 | 帝京大学入学 |
2017年4月 | トヨタ自動車ヴェルブリッツに加入 |
2019年 | ラグビーワールドカップ2019の日本代表に選出 |
2021年 | ハイランダーズに加入 |
2023年 | 日本代表チームの主将 |
こうして表にしてみると、トントン拍子でラグビー界のトップについたように見えますが、実は幼少期から常に「極貧」という環境に苦しんできました。
では、さっそく姫野和樹さんの生い立ちを貧困エピソードを交えながらご紹介していきます!
【生い立ち】姫野和樹の幼少期
姫野和樹さんは1994年7月27日に愛知県名古屋市で誕生します。
家族構成は、
- 父
- 母
- 姉
- 姫野和樹
- 妹
の5人家族。
姫野和樹さんは長男なんですね!
ここでは、姫野和樹さんのまだ小さかった頃の画像と、そのときの貧困エピソードについてご紹介します。
【昔の画像】小さい頃は泣き虫だった姫野和樹
姫野家の長男として生まれた姫野和樹さんは、幼い頃は母親の足にしがみついている泣き虫な子供だったとのことです。
2、3歳ころでしょうか、姫野和樹さんのかわいさはこのころからだったんですね!
もう少し大きく成長した姫野和樹さんもみてみましょう。
すっかり少年となった姫野和樹さん。
満面の笑みで、いまとかわらず笑顔が可愛いですよね!
貧困エピソード:6畳2間に家族5人での生活
前述した通り、姫野和樹さんは両親と姉・妹の5人家族です。
しかし、実家は6畳の部屋が2つあるだけのお世辞でも広いとはいえないところに住んでいたそうです。
姫野和樹さんは愛知県名古屋市出身で、名古屋の中でも下町にて生まれ育っています。
まわりの家もそこまで裕福ではなかったようですが、とりわけ姫野和樹さんの家は貧しかったと、姫野さん自身が明かしていました。
名古屋市内の下町エリアなので、地元の小学校、中学校の同級生には裕福な家はそれほどなかったけれど、その中でも僕の家は断トツで貧しかった。子ども心に、「ウチは貧乏だ」とわかっていた。
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子供が3人もいれば荷物も増えていき、部屋の中はモノであふれていたそうですよ。
【生い立ち】姫野和樹の小学校時代
姫野和樹さんは小学生(名古屋市立岩塚小学校)の頃、とても運動神経がよくてスポーツもそつなくこなすことができる子供でした。
ここでは、姫野和樹さんの小学校時代をいくつか貧困エピソードとともにご紹介します。
貧困エピソード:駄菓子は見るだけで遊び場は公園
駄菓子屋の店員さんいわく、姫野和樹さんは小学生時代、友達とよく駄菓子屋さんに来たものの、お金がなくいつも駄菓子を買う友人を待っているだけだったのだとか。
友達と駄菓子を買いに来るのですが、姫野くんだけお金を持っていなくて。友達が食べ終わるのを、じっと待っているんです。
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それでも、必死に貯めたお小遣いを手に、ごくたまにお菓子を買える日もあったそうですが、そのとき買うのは「くじ付き」のお菓子だったそうですよ。
なぜか当たらず、いつもはずれを引いてしまったそうなのですが、駄菓子屋の店員さんからすると応援したくなるような子供だったとのことです。
けなげで心がギュンとなるエピソードですよね。
そんな姫野和樹さんですが、性格は明るく友達とはいつも公園などで遊んでいたそうです。
貧困エピソード:習い事は体験のみ
姫野和樹さんは、運動神経がよい少年だったため野球チームやサッカークラブで習い事をすることもあったそうですが、どれも「体験のみ」で続けることはできなかったようです。
野球もサッカーも、一通り必要なものをそろえるのはそれなりにお金がかかります。
また、月謝も毎月かかってくるわけですが、姫野家ではそれが払えず泣く泣く諦めるしかなかったとのこと。
小学生の時には、地元の野球チームやサッカーのクラブチームに体験入部したこともあった。だが野球は、バットやグローブなどの用具を一式買い揃えるのにお金がかかる。 サッカーもクラブチームの月謝が払えないので、どちらも体験までで続けることは諦めるしかなかった。
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小学生ながらに悔しい思いをしてきたのだなと感じますよね。
貧困エピソード:給食費は毎月のように滞納していた
姫野和樹さんは給食費を払うことができず、毎月先生から催促されていたとのことです。
給食費を払えないのは姫野和樹さん自身が悪いわけではないのにもかかわらず、そのときの担任の先生はクライメイトの前でわざわざ催促してくることもあったのだとか。
小学生ながらにどれほど心が傷ついたかはかり知れません。
貧困エピソード:晩御飯はコンビニのおにぎり
姫野和樹さんの小学生時代の晩御飯はコンビニのおにぎりで済ませていたと明かしています。
というのも、両親が給料日になるとそろってパチンコへ行ってしまい、家にいない時間がおおかったのだとか。
机の上においてあった1000円でコンビニに行って、おにぎりを3つと唐揚げ棒を買って晩御飯にしていたというのです。
給料日直後のお金に余裕がある時は、朝から晩までずっとパチンコで帰って来ない。そういう時、学校から帰ってくるとテーブルの上にはいつも千円札が置かれていた。
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かなり衝撃的な事実ですが、それでも貧しい毎日を必死に生き抜いた姫野和樹さん。
そんな姫野和樹さんは、中学入学をきっかけにラグビーと出会い、トップスターへと駆け上がっていきます。
【生い立ち】姫野和樹の中学時代
姫野和樹さんは中学(名古屋市立御田中学校)に入学するときにはすでに身長が170cmもあり、体格の良さを知ったラグビー部からお誘いがきたそうです。
もともと小学生時代から運動神経もよく、サッカーや野球などのスポーツも経験していた姫野和樹さんは、ラグビー部に仮入部を決めます。
本当はサッカー部希望だったそうですが、サッカーは相手選手に当たるとすぐにファールをとられてしまうところ、ラグビーは相手を吹き飛ばせば飛ばすほど褒められることから、ラグビー部に入部することとなります。
ほかの部活とくらべて比較的費用もかからなかったのも決め手のひとつだと明かしていた姫野和樹さん。
ちなみに、中学1年生の時にはすでに将来の夢を「プロに入ること」と決めていたそうです。
【昔の画像】ラグビーに出会い楽しさを知る!
姫野和樹さんは中学1年生の時にラグビーと出会っています。
上の画像は、中学1年生のときの姫野和樹さんです。
体格の良さが画像からも伝わりますよね。
次の画像は中学2年生の時の姫野和樹さん。
中学生とは思えないほど、たくましいからだつきをしていますよね!
部活で必死に練習すればするほど、ジャージは敗れるしスパイクや運動靴だってボロボロになってしまいますが、それでもラグビーができる喜びがまさったと明かす姫野和樹さん。
とにかくラグビーが楽しかったし、ラグビーをしている時は嫌なことも忘れられた。
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だれよりも練習して、朝・昼・夜とずっと力をつけるために励んでいたのだとか。
すると、努力は形となってあらわれ、誰も姫野和樹さんを止められる選手はいなくなるほどにまでになったそうです。
かなりの力の持ち主で、空手有段者の先生と腕相撲をしたときには骨折をさせてしまったというエピソードも。
練習では本気を出してはいけない「本気禁止令」がでたそうですよ(笑)
貧困エピソード:遠征費が払えず嘘をつく
めきめきと頭角をあらわして選抜チームに選ばれた姫野和樹さんですが、大会に参加するための遠征費用が払えず辞退したエピソードが明かされています。
遠征費用は約4万円。
この金額は、姫野家にとって大きなお金で、払ってもらえないと思った姫野和樹さんは親に言わずに自ら選抜を辞退したとのこと。
とはいえ、顧問の先生にも「お金がないからいけない」とはいえず、「県選抜の監督が好きじゃないから行きたくない」と、つい嘘をついてしまったのだとか。
「お金が無くて行けません」とは、恥ずかしくて松浦先生には口が裂けても言えなかった。
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だから僕は嘘をついた。
「先生、オレ、県選抜の監督が好きじゃないんでセレクション行かないです」
胸が苦しくなるようなエピソードですよね。
姫野和樹さんは自分一人で抱え、周りには本当のことはいわずにチームメイトにも「県選抜なんて興味ない」という強がりを見せていたそうです。
それでも、ラグビーで這い上がると心に決めた姫野和樹さんは、中学1年生の時のラグビー部員の名簿欄に
と、書いていました。
夢を現実にしていて、ものすごくカッコイイですね!
【生い立ち】姫野和樹の高校時代
姫野和樹さんは春日丘高校(現:中部大学春日丘中学校)へと進学することに決めます。
中学3年生のころに、
- 名古屋市立西陵商業高校(現・西陵高校)
- 春日丘高校(現:中部大学春日丘中学校
の2つの高校から誘いを受けた姫野和樹さん。
西陵高校は全国大会の花園の常連高校で、全国的にも名前が知られており、ラグビーをやりたい姫野和樹さんにとってはこのうえない話でした。
もちろん春日丘高校も強豪校でどちらを選んでもラグビーをできる環境が待っています。
そんな中、姫野和樹さんは、春日丘高校を選びました。
理由は、「まだ花園への出場経験がなかったから。」とのこと。
いけそうでいけないからこそ、当時の姫野和樹さんにとって魅力的にうつり、もしかしたら自分の力で花園にチームと一緒に行けるかもしれないと考えたそうです。
【昔の画像】日本代表に選ばれた姫野和樹
これが日本代表に選ばれた高校時代の姫野和樹さんです。
「花園にチームを連れていく!」と決めて入学した姫野和樹さんは、高校1年生・2年生と2年連続で花園への出場をみごと果たしています。
しかし、入学するためにも貧困がゆえの経験も乗り越えていた姫野和樹さん。
貧困エピソード:私立高校へ行くために猛勉強
春日丘高校は私立の学校なので、学費など公立と比べると高いという問題に直面しました。
もちろん姫野家にはその学費を払う余裕がありません。
春日丘高校に入学するためには推薦合格が必須!
推薦合格なら学費を免除してもらえるため、それ以外の方法はなかったのです。
必死に勉強し、周りの先生たちのサポートの甲斐もあって、無事合格をつかみ取ります。
もはや、お金がないというのは単なる言い訳に聞こえるほど、自らの力で夢をひとつずつクリアしてきたんですね!
貧困エピソード:合宿費用は立て替えてもらった
ラグビー部では夏になると合宿がありましたが、費用がかかってくるため姫野和樹さんは参加を諦めていたとのこと。
しかし、当時の顧問の先生がポケットマネーで立て替えてくれ、無事に参加することができたそうですよ!
ラグビーというスポーツに出会い、周りに恵まれてきた姫野和樹さん。
貧困という自分ではどうしようもできない状況の中でも、必死にくらいついて努力してきた証が、巡り巡って周りの人たちから応援してもらえる、勇気をもらうエピソードですよね。
【生い立ち】姫野和樹の大学時代
姫野和樹さんは帝京大学へと進学し、そこでもラグビーを続けます。
2年生のころまでは、怒られればいじけてやる気をなくすような性格だったのだとか。
この大学4年間という時期は、人間の基礎を叩き込んでもらったと姫野和樹さんはいいます。
とてもいい環境でラグビーをできたと明かす姫野和樹さんですが、大学1年生夏に骨折をしてしまいそこから1年半は試合に出られなくなったという過去がありました。
「試合に出たいのに出られない」という葛藤に負けそうになった時、黙々とトレーニングを続けていた先輩を見て心を改めたのだそう。
他人やケガのせいにしてばかりで、意識の“矢印”が自分自身に向いていない自分が恥ずかしくなっていった。
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悔しさをバネにして成長へとつなげた姫野和樹さんは、その後チームの中心となり活躍し、選手権8連覇に貢献しています。
【生い立ち】姫野和樹の社会人時代
大学を卒業した姫野和樹さんはトヨタ自動車ヴェルブリッツに加入し、キャプテンとしてチームをひっぱることにも果敢にチャレンジしていきます。
とはいえ、新人がいきなりキャプテンとなったこともあり、はじめは受け入れてもらえなかったそうです。
そこで、毎日22時まで自作のノートにアイデアを書き出してキャプテンとして認めてもらうるように努力し続けたのだとか。
そうしてチームメイトの信頼を得ながら勝利へと貢献し続けるのです。
【昔の画像】日本代表に選ばれベスト8に貢献!
ベスト8入りしたラグビーワールドカップ2019でも、姫野和樹さんは大きな存在を見せつけました。
日本中が盛り上がりを見せましたよね。
予選プールをすべて勝ち、1位で通過して史上初のベスト8入り!
強豪国のアイルランドやスコットランドからも勝利を奪い、世界中の人たちに日本のラグビーの強さを証明するなど、姫野和樹さんも日本代表として力を存分に発揮しました!
その後の2021年には、ニュージーランドのハイランダーズに加入し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーにも選ばれています。
チームのために体を張り続け、得意技のジャッカルでピンチを何度も救ってきた姫野和樹さんは日本代表に欠かせない選手にまで成長しています。
姫野和樹の現在
2023年9月現在、姫野和樹さんは貧困をも乗り越え日本代表選手に選ばれ、もうじきはじまるラグビーワールドカップのためフランスに向かいました。
ちなみに、いまの年収は4000万円以上といわれており、かつて抱いていた「普通の生活」を手に入れつつあります。
趣味はカフェ巡りで、自分でラテアートも作るそうですよ。
すごく上手で、そうとう練習したことがうかがえますよね!(自宅もオシャレです…!)
そんな姫野和樹さんは、2023年には日本代表の主将に選ばれ、ラグビーワールドカップ2023でも引き続き、主将としてチームを引っ張る主力の選手です!
2023年9月10日に行われた日本の初戦、姫野選手は怪我でベンチでの応援となりましたが、結果は勝利!
ここから姫野選手の活躍が楽しみですね!
姫野和樹が極貧の幼少期を過ごしていたとき両親は何してた?
姫野和樹さんの両親はそれぞれ、
- 父:鉄工所
- 母:介護関係
で働いていました。
父親はもともと競輪の選手だったのですが、選手を辞めてからは鉄工所で働いていたそうです。
子供が3人いたとはいえ、両親ともに働いていたにもかかわらず姫野和樹さんがたびたびお金に困ることになったのは、両親のパチンコ通いが原因だったのだとか。
毎月毎月、パチンコであっという間にお金を使い切ってしまっていたのだろう。
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給料日になると両親そろってパチンコに行くような家庭で育ったとのことです。
ここまで聞くと、グレてもおかしくないような気もしますが、姫野和樹さんは周りの人たちに救われたと話します。
さぞかし親への憎しみや怒りがあるのだろうと思いきや、姫野和樹さんは「親のせいにしたいとは思わなかった」と明かしていました。
では、姫野和樹さんは極貧だった過去の話をなぜしたのでしょうか。
極貧エピソードを明かした理由は同じ境遇の子供たちへのエール
姫野和樹さんは幼少期のことや貧困だったことなど、人にはなかなかいいにくいけれど、同じ境遇の子供たちへ勇気を与えたかったから話したと明かしています。
情熱大陸さんのYouTubeにて、
— 姫野和樹 (@teikyo_8) May 7, 2022
特別映像公開されてます。
僕はあまり自分の幼少期の事とか
人に話すことなくて、寧ろコンプレックスに思っていた時期がありました。
でも、発信しようと思ったのは同じ境遇の子供たちが他にもいるだろうと思ったからです。
勇気を感じて貰えれば嬉しいなって思います。 https://t.co/NP4U4PTazj
姫野和樹さんはあまりの過酷な運命に、負けそうになったこともあったのだとか。
ただ、本気で現実から逃げ出そうとしたことは、一度だけある。
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それでも、負けずに戦い続けられたのは、周りにいる人たちのおかげなんだそうです。
小学校時代は友人に、中学時代から大学時代は先生にたくさん支えてもらったと姫野和樹さんは話しています。
友人とお金を出し合いながら食べたカップ麺は、お金に余裕がある今となっても「あのカップ麺よりおいしいものはない」と話すほど。
いまでも仲間との時間は大切にしているそうですよ!