バラエティなどで、その美しさと明るい性格が大人気のアンミカさん。
今でこそ各メディアに引っ張りだこな方ですが、パリコレモデル時代やそのさらに若い頃の様子はあまり知られていないかもしれません。
この記事では、そんなアンミカさんの美人すぎる若い頃から現在までを、パリコレモデル時代などの画像とともに追っていきたいと思います。
ぜひ最後まで読んでみてくださいね!
【画像】アンミカがパリコレモデルになる前~幼少期~
バラエティやワイドショーなど、その顔を見ない日はないというほどテレビで大活躍中のアンミカさん。
今も若い頃もとっても美人で、あのパリコレに出演経験もあるんですよね。
ちなみに、上の画像はアンミカさんの幼少期のもの。
家が貧乏だったことと太り気味だったことなどが原因で、あまり明るい性格の子供ではなかったようです。
そんなアンミカさんがパリコレモデルになるまでと、その後の様子を画像とともにみていきたいと思います。
アンミカのプロフィール
本名 | 安 美佳(あん みか) 韓国語表記:안 미가 |
出身地 | 大韓民国 |
生年月日 | 1972年3月25日 |
血液型 | O型 |
職業 | ・モデル ・タレント ・ジュエリーデザイナー ・ファッションプロデューサー ・化粧品プロデューサー ・歌手 ・女優 など |
主な活動 | ・2009~ 韓国観光名誉広報大使 ・2013~ 初代大阪観光大使 ・2016~ 野菜ソムリエ協会アンバサダー ・2021~ 日本化粧品協会プレミアムアンバサダー など |
公式サイト | ・Instagram https://www.instagram.com/ahnmikaofficial/ ・Amebaブログ https://ameblo.jp/ahn-mika/ |
韓国の済州島(ちぇじゅとう)出身のアンミカさんは、幼い頃に韓国から日本へ家族とともにやってきました。
日本では大阪府大阪市の阿倍野区で生活をしていましたが、裕福な生活とは縁遠い生活だったそうです。
しかし並大抵ではない努力と持ち前の才能&ガッツで、パリコレモデルにまでなります。
そしてアンミカさんがすでにモデル・芸能人として成功していた29歳(2002年)の時、実の父親が亡くなったことで家族のルーツを辿るべく、韓国の延世大学校に留学。
その後は韓国の名誉広報大使やさまざまな協会のアンバサダーをつとめるなど、芸能以外のお仕事にも精力的に取り組まれています。
アンミカの兄妹は?
アンミカさんは、なんと年子の5人兄妹!
アンミカさんの他には兄・姉・弟・妹がおり、特に女性陣は3人ともそっくりでとってもキレイです!
職業も歯科衛生士&ボディセラピストとのことで、アンミカさん姉妹はみなさん美容に気をつかってらっしゃるのがわかります。
というのも、アンミカさんの母親は元美容部員。
写真を見る限り、父親譲りの恵まれたスタイルと母親譲りの美貌&美意識がアンミカさんを作り上げたのかな、と感じますね!
アンミカの若い頃は想像を絶する極貧生活!
家族で韓国から日本に渡ってきたアンミカさん一家。
幼い頃の日本での生活は、今のアンミカさんからは想像もできないような貧しい生活だったようです。
アンミカさんの幼少期の極貧生活エピソードは、ざっと挙げただけでもこれだけあります。
- 他人の家の2階部分で四畳半7人生活
- 中学・高校時代は新聞配達やパン屋などでバイトの掛け持ち
- 鼻の骨が折れても病院に行けなかった
- すきっ歯は自分の手で歯を寄せて矯正していた
- 市場で廃棄する予定の食材をもらっていた
- 学校の給食費が払えなかった
- 新聞紙を防寒具にしていた
などなど…
特に中学生の頃に母親が病気で動けなくなってからは、早朝バイト→学校&部活→バイトといった生活でした。
また、下の画像はアンミカさんの小学校卒業式のものです。
制服がおさがりだったとのことで、袖がアンミカさんの腕の長さに合っていないのがわかりますよね。
かなりの苦労をされていたんですね…。
【画像】アンミカがパリコレモデルになる前~中学・高校生~
幼少期のアンミカさんは、3歳の頃に階段から落ちたことでできた唇の大けがや太っていた見た目、貧しい暮らしのせいで、とても引っ込み思案な性格だったそうです。
しかし中学・高校生になるとその性格は一変、母親の影響もあってついにパリコレモデルを目指すようになります。
中学生の時にモデルを志すようになる
アンミカさんがモデルを志すようになった大きなきっかけは、11歳の時に母親がガンになったことでした。
もともと母親に
と言われていた、アンミカさん。
中学の時には寝たきりになってしまった母親が亡くなる前にモデルになりたい、と考えるようになります。
しかし当時のアンミカさんは身長160㎝&部活の陸上競技で筋肉質だったため、とてもモデル体型とは言えないスタイルでした。
それでも愛する母親に喜んでもらうため、モデルを志すのを諦めなかったといいます。
アンミカが通っていた高校は?
アンミカさんが通っていた高校は、大阪府の住吉高校です。
偏差値は64前後の難関進学校で、財政界で活躍する方やアナウンサー、学者、小説家など多くの著名人を輩出しています。
アンミカさんはこの住吉高校にストレートで入学、所属していた陸上部でも好成績を残しています。
しかし在学中に身体を壊したこともあり、陸上を諦めてさらにモデルへの道をまい進することになるのです。
ちなみに、金銭的な家庭の事情などもあり、大学進学はしていません。
執念でモデル事務所に所属
実はアンミカさん、中学3年生の時にあるモデル事務所に応募書類を数回送り、すべて不採用でした。
それでも諦めなかったアンミカさんは、
と堂々宣言し、モデル事務所の社長に直接会う機会をもらいます。
結局そこでも不合格になってしまうのですが、社長に「また大きくなったら遊びにおいで」と言われたことを真に受けて毎週事務所に通うようになったそうです。
当時のアンミカさんの自宅からモデル事務所までは、なんと8駅分の距離!
かなりのど根性具合がうかがえます。
そうして通ううち、次第にキャンセルで空いたレッスンに参加させてもらえるようになり、事務所にもいつの間にか所属することになっていたそうです。
高校卒業後にパリに行くことを決意!
アンミカさんの母親は、アンミカさんが住吉高校在学中に亡くなってしまっていました。
しかしその時すでにモデルを志していたため、母親の命日までに手っ取り早くモデルとして成功するにはどうしたらいいか…と考えたところ、
パリコレモデルになろう!
と思いつきます。
高校を卒業したら、単身パリに行くことを決めてしまったのです。
そんな安易な考えのアンミカさんに、父親はモデルになることを猛反対。
アンミカさんの将来を心配してのことだとは思いますが、「世間に認められるような一流のモデルになるまで帰ってくるな」とまで言われてしまったそうです。
こちらは10代の頃のアンミカさんの画像です。
目鼻立ちがハッキリ&美脚で、とても10代には見えない美人っぷりです!
もともとは深く考えずに「パリコレモデルになろう」と言い出したかもしれませんが、中学生の頃から考えるとそうとうな努力を続けていたのでしょうね。
【画像】アンミカの若い頃&パリコレモデル時代!
アンミカさんは20歳の頃の1993年、念願のパリコレモデルデビューをします。
しかしそこまでの道は決して平坦ではなく、苦労の連続だったようです。
ここでは、アンミカさんがパリコレモデルとして活躍するまでをみてみましょう。
モデルになりたての頃はパリで門前払いの日々
高校を卒業したアンミカさんは、フランスのモデル事務所には何のツテもなく、とにかく自分を売り込むためにパリで20社以上もの事務所に電話をしまくったそうです。
しかしその中でアンミカさんの話を聞いてくれたのは、わずか3社の事務所だけ。
その3社に行ってみても、採用担当者にすら会えず受付の時点で門前払いとなってしまったとか。
そこでアンミカさんが「どうして会ってくれないのか」と聞くと、
あなたが着ている服は、自分を良く見せていない
引用元:https://www.excite.co.jp/news/article/Techinsight_20140719_92895/?p=2
と言われます。
自分の体形や雰囲気を良く理解し、洋服はもちろん自分をかっこ良く見せるのがモデルという職業。
それなのに自分の好き嫌いという物差しのみで着る服を選んでいる、当時のアンミカさんのようなセンスのないモデルはいらない、ということなのです。
かなり辛辣なことを言われたように感じますが、逆にアンミカさんはこの言葉で一念発起。
すぐに日本に帰り、「自分に似合うファッション」を学ぶべく猛勉強したのです。
父からの手紙がパリコレモデルへの第一歩に
その後アンミカさんは京都のディスコで開催されたファッションショーで有名カメラマンの目にとまり、念願のパリコレに初出演することになります。
しかしこの京都のショー、実は素人モデルのもので、アンミカさんは当初参加を断っていたんだそうです。
そんな時、実家の父親からアンミカさんのもとに手紙が届きます。
アンミカさんが父親から手紙をもらったのはこの時が初めてで、その手紙には
チャンスというのものは突然ななめ後ろからやって来る。
引用元:https://gendai.media/articles/-/89817?page=2
と書いてありました。
その文面を見たアンミカさんは「どんなチャンスも逃してはならない」と気づき、断っていた京都のショーに出ることを決めます。
結局、アンミカさんはこのショーで有名ドイツ人カメラマンのノーバート・ショルナー氏の目にとまり、伝説的な海外カルチャー誌『THE FACE』の表紙を務めたり、ロンドンの代表的なファッション誌『i-D』に写真が掲載されることになりました。
この時の仕事が話題になり、アンミカさんは一気にパリコレモデルへの道を進むのです。
アンミカは20歳で念願のパリコレモデルに
実はアンミカさん、京都のショーでもう一つの運命的な出会いを果たします。
それは、同ショーに出席していたデザイナーの山下隆生氏との出会い。
山下隆生氏は「BEAUTY BEAST」というブランドでパリコレデビューすることが決まり、そこにアンミカさんも呼んでもらえることになったのです!
その後アンミカさんは、「BEAUTY BEAST」の他にも
- Martin Grant
- シンイチロウアラカワ
- Miki Mialy
- DORITA
などといったブランドで、継続的にパリコレに出演していきます。
パリコレには当然、以前アンミカさんを落としたモデル事務所の関係者もいました。
しかしアンミカさんは再度自分から声をかけ、オーディションをしてもらったうえで採用になったケースもあるのだとか。
中学生の頃からのハングリー精神と驚くべき行動力が、アンミカさんをパリコレまで導いてくれたのですね。
実は…アンミカはパリコレモデルに向かない体型だった!?
念願のパリコレには出演できましたが、実はアンミカさんのスタイルはパリコレモデルとしてはあまり向かない体型だったそうです。
アンミカさんの当時の身長は171㎝。
同時期に世界的モデルとして活躍した日本人の川原亜矢子さんや田辺あゆみさんは、いずれも176㎝を超えています。
当時は身長が175㎝以上ないと「パリコレ出演は不可能」と言われていました。
そのため、アジア人モデルの需要がそもそも少なかった時代にアンミカさんのスタイルでパリコレに参加できたことは奇跡に近かったようです。
誰もが知っているようなファッションブランドに出演することはできなかったかもしれませんが、そのような状況で約2年半もの間パリコレに出演し続けたアンミカさんは、その行動力や「パリコレに出たい!」という気持ちが誰よりも強かったのだと思います。
・ブランドの雰囲気に合っていなければオーディション会場に入った瞬間帰される
・パリのシャンゼリゼ通りには落選して泣きながら歩くモデルがたくさんいる
・一度採用されても反故になることはよくある話
…などなど。
【画像】アンミカの美人すぎる若い頃~パリコレモデル時代以降~
アンミカが若い頃、凄く美人
— フェイトーザ (@iVuO3w5A7r1REJ5) April 8, 2023
だった事を最近知った。 pic.twitter.com/FCajgsKcFZ
パリコレモデルとして、無事に成功をおさめたアンミカさん。
その美人すぎる画像を、年齢別にまとめました。
アンミカの20代前半の頃
こちらはアンミカさんがパリコレモデルとして活躍されていた頃のもの。
パリの事務所で撮ってもらったものだそうです。
アンミカの25歳の頃
どちらも25歳とは思えないほど、モデルとしての貫禄がありますね!
アンミカの33歳の頃
こちらの画像、画角の関係もあるかもしれませんがとっても脚が長く見えますね!
スタイル抜群です。
この画像は先のものとはまた雰囲気が違い、色鮮やかでステキですね。
ちなみにこの頃のアンミカさん、のちに交際して1000万円をだまし取られてしまうという、『しくじり先生 俺みたいになるな!!』で話題になった結婚詐欺師もしくは国際的なスパイと思われる男性と出会った頃だとか…。
アンミカの35歳の頃
こちらの画像はアンミカさんが35歳頃のもの。
大人のイイ女感が滲みでていますね!
どことなく、歌手の今井美樹さんに似ている感じもします。
アンミカの40歳の頃
こちらの画像は、15年ぶりに単独メゾンのランウェイを歩いた時のものだそうですが、とても堂々とされていますね!
【画像&動画】アンミカの現在の生活は?
大きなコンプレックスを抱えていたにもかかわらず、パリコレモデルとして成功したアンミカさん。
現在ももちろん、モデルとして活躍されています。
こちらの動画は「Rakuten Fashion Week TOKYO」のもので、艶やかな着物を着こなす様子がとってもステキですね!
それではここからは、アンミカさんの現在の様子をみてみましょう。
アンミカはモデル以外の仕事も充実
アンミカさんは30歳を過ぎたころから、モデル業の他にもテレビ・ラジオ出演の他、服飾関係のデザイナー、各種美容用品のプロデュース、講演やエッセイ執筆など多方面で活躍されています。
また、自身のルーツである韓国についても学んだことで韓国観光公社から韓国観光名誉広報大使に任命されるなど、日本のみならず海外でも活躍し続けています。
美容関連のものを中心とした民間資格も多く取得しており、さらには阪南大学で特任教授を務めるなど、外見だけでなく中身も常に学ぶ姿勢が美しい方ですね。
さまざまな才能にあふれるアンミカさんですが、特にバラエティ番組『プレバト!!』で披露した水彩画などの絵画の腕前が素晴らしいんです!
同番組の水彩画コーナーで評価を行う野村重存先生いわく、
アンミカさんは奥行きや立体感がとても自然に描ける人で、さらに色や形、光の表現など絵全体の構成力に注目しています。
引用元:https://www.mbs.jp/mbs-column/p-battle/archive/2020/04/07/020164.shtml
とのことで、「これからどんな傑作が生まれるのか楽しみ」にされているそうです。
アンミカさんは持ち前の才能とこれまでの途方もない努力で、自身の魅力を最大限引き出すことができている女性ですよね。
2012年に最愛の伴侶と結婚
アンミカさんは39歳の頃の2012年に、アメリカ人のセオドール・ミラーさんと結婚されました。
そのラブラブっぷりはとどまるところを知らず、2人の仲睦まじい様子がメディアでもたびたび観られますよね。
アンミカさん夫妻はいつまでも仲良しでいる秘訣として
- よく話し合い理解し合うこと
- 相手に求めすぎないこと
などを意識しているそうで、これはきっとどの夫婦にも当てはまるポイントですよね。
ぜひ見習いたいものです!
ちなみにこの2人はゴルフ場で出会ったのですが、アンミカさんはその日のうちに「私この人と結婚するんだ!」と直感したそうです。
夫のセオドールさんは、企業イベントや映画、ライブなどの企画制作・タレントブッキングなどを行う会社「エンパイア・エンターテインメント・ジャパン」の最高経営責任者(CEO)。
さらにその家族はゼネコン会社社長や映画監督のベネット・ミラー氏などがいるという、超セレブ一家の3男坊です。
そんなセレブ一家の一員になることとなったアンミカさん。
おそらく結婚してからの苦労もたくさんあったかと思いますが、きっとその持ち前のバイタリティとポジティブな考えで乗り越えてこられたのでしょうね。
こちらはアンミカさんが2021に発売した、「ポジティブ日めくりカレンダー 毎日アン ミカ」です。
どの日の言葉も、すっと心に入ってくるようでステキなものばかりです。
アンミカの若い頃にモデル&仕事につながった母の教え
常にフェアで前向きな言葉がステキな、中身まで美しいアンミカさん。
今のアンミカさんのベースを作ったのは、高校生の時に亡くなってしまった母親だといいます。
前述した通り美容部員だったアンミカさんの母親は、娘たちに美容関係の知識をことあるごとにレッスンしていたそうで
- 姿勢を良くする
- 口角を上げる
- 相手がわかりやすいようゆっくり話す
- 相手の目を見て話す
ということを特に教わったそうです。
これらのレッスンのおかげで自身がついたアンミカさんは、暗かった幼少期から次第に明るい性格になり、パリコレモデルを目指したり「テレビショッピングの女王」と呼ばれるまでになるのですね!
アンミカの若い頃が美人すぎ!パリコレモデル時代から現在まで!のまとめ
各メディアで毎日その姿を目にする、アンミカさん。
ここまでアンミカさんのパリコレモデル時代や現在までの様子を、画像付きで追ってきました。
2023年現在も50歳とは思えない美貌ですが、特に若い頃は美人すぎて驚いてしまうほどの外見でした。
アンミカさんの美しさは外見だけでなく中身もであり、それは母親の影響やこれまでのたくさんの努力から生まれたもの。
美のカリスマとして女性から大人気のアンミカさんは、これからの活躍がますます楽しみな方ですね!