高橋文哉(たかはし・ふみや)さんといえば、ドラマに引っ張りだこの若手俳優というイメージが強いことでしょう。
休むことなく毎クール何かしらのドラマに出演しており、2023年10月期には主演を務めています。
そんな高橋文哉さんの原動力は、3兄弟をひとりで育て上げてくれた母親にあるようです。
今回は、
- 高橋文哉は母子家庭
- 母親の店の名前は「でぶや」!場所はどこ?
- 高橋文哉の母親は何歳?
- 高橋文哉の父親は何してる?
など、高橋文哉さんの母親や父親についてご紹介します。
高橋文哉は母子家庭で育つ!
高橋文哉さんは中学1年生のときから母子家庭で育っています。
年齢:22歳(2023年10月現在)
出身:埼玉県
職業:俳優
所属:A-PLUS
高橋文哉さんは男3人兄弟の末っ子として育ちますが、母親は3人の子供をひとりで育て上げたことになります。
母親は離婚前も働いていたようですが、離婚後に本格的に働き始め
- ショッピングセンターでパート
- 飲食店経営
をしながら、まだ中学生だった高橋文哉さんを育ててたそうです。
僕が中学生の頃には、母は飲食店を経営しながら、大型ショッピングセンターのパートなど、本格的に働き始めました。8歳上と6歳上の兄2人はすでに家を出ています。
https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/
2人の兄はすでに自立し家を出ていたので、高橋文哉さんは子どもながらに母親を助けられるのは自分だけだと思ったのでしょう。
母親思いの優しい人ですよね…!
そんな高橋文哉さんですが、母親の飲食店が話題になっていたようですよ。
【画像】高橋文哉の母親の店はでぶや!場所は?
高橋文哉さんの母親が経営する店の名前は「おかんのごはん でぶや」といいます。
こちらが「でぶや」の画像です。
場所は、「埼玉県春日部市米島979」にあった高橋文哉さんの母親の店・でぶやですが、2018年12月に閉店してしまったのだとか。
そんな高橋文哉さんの母親の店「でぶや」は何屋さんなのでしょうか。
高橋文哉の母親のお店はお弁当屋さん
高橋文哉さんの母親の店「でぶや」はお弁当屋さんです。
お弁当だけではなく、オードブルやランチもやっていたようですね。
「でぶや」は2015年にオーブンしていますが、2018年12月に閉店しています。
営業していたころはとても繁盛していたようで、どの料理も美味しいと評判がよかったのだとか。
高橋文哉さんの母親のインスタグラムでも、おいしそうなメニューがずらりと並んでいましたよ。
メニューも豊富で、どれも美味しそうです…!
今は閉店しているので、高橋文哉さんの母親の料理が食べられないのは残念ですが、どうやら「でぶや」閉店後はキッチンカーをしていたという情報がありました。
高橋文哉の母親はシェアキッチンに出店している
高橋文哉さんの母親は、飲食店「でぶや」を閉店後、シェアキッチン「KIKI STAND」にて不定期で出店しています。
2023年6月3日にも「KIKI STAND」さんにて出店している確認がとれました。
気になる方はSNSで確認して行ってみるのもいいかもしれませんね。
高橋文哉の母親はリメイクやフリマ出店している
シェフキッチン以外にも、高橋文哉さんの母親は洋服をリメイクしたりフリマに出店したりとアクティブに活動しています。
手先がとても器用なタイプなのでしょうか、こんな作品が高橋文哉さんの母親のインスタグラムにはありました。
デニムをリメイクしてバッグやスマホカバーを作った時の投稿です。
このほかにも高橋文哉さんの母親のインスタグラムでは、数々のリメイクされた小物が投稿されています。
思い立ったらすぐ行動するタイプのようで、高橋文哉さんいわく
なんだそうですよ!
そんな高橋文哉さんの母親は現在、何歳でお名前はなんというのでしょうか。
【現在】高橋文哉の母親は何歳?
高橋文哉さんの母親は、2023年に53歳(もしくは54歳)を迎える年齢だと思われます。
というのも、2019年12月1日の東京新聞にて「49歳」とかかれていたのです。
僕が小学4年生の時の母(49)のひと言でした
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また、2018年12月31日に投稿された高橋文哉さんの母親のXでは「50歳に新しい事をしよう」とありました。
ということは、2018年の時点で49歳で、2019年に50歳になるという意味だと考えられるでしょう。
つまりは、2023年に高橋文哉さんの母親は53歳もしくは54歳を迎える年齢だということになりますね。
【画像】高橋文哉の母親の名前はゆき
高橋文哉さんの母親の名前は「高橋ゆき」さんといいます。(上の画像、右から3人目の方が高橋文哉さんの母親・ゆきさんです)
インスタグラムのアカウントが「yuki」だということ、
シェアキッチンをしている主催者の方のSNSにて「ゆきさん」だということが明らかとなっているのです。
「ゆき」という名前がひらがなのままなのか漢字なのかは不明ですし、もしかすると「ゆきこさん」とかかもしれませんが…。
どちらにせよ、高橋文哉さんの母親は「ゆきさん」と周りの人からは呼ばれているということですね!
高橋文哉の母親はインスタをやっている
こちらが、高橋文哉さんの母親のインスタグラムです。
おもに料理の画像やリメイクしたアイテムを投稿しています。
2023年4月15日で更新が止まっているのですが、仕事が忙しいのかもしれませんね。
高橋文哉の父親は何してる?
高橋文哉さんの父親に関しては、母親と離婚したという情報しかなく高橋文哉さん本人からも父親について語られていないため、何をしている人なのかやどんな父親だったのかについては分かっていないのが実状です。
とはいえ、高橋文哉さんには兄が2人おり、その兄たちが父親代わりだったようですよ!
高橋文哉さんは3兄弟の末っ子で、長男とは8歳、次男とは6歳離れています。
そのため、年の離れた兄たちが高橋文哉さんの父親代わりをし、厳しくしてくれたり背中をおしてくれたりしていたのだとか。
年が離れているため甘やかされそうですが、2人の兄は体育会でそんなこともなかったようです(笑)
それでも愛を持って接してくれたことによって、高橋文哉さんにとって2人の兄は目標とするべき存在だと明かしています。
「今も目標ですし、『まだ超えられないな、この人たちは』と思いながらいつも一緒に遊んでいます。もうちょっと頑張って、実績を残して、胸を張って『抜かしたぞ!』って言いたいなと(笑)」
https://news.mynavi.jp/
高橋文哉さんの口から父親について語られることはいまのところありませんが、2人の兄が父親がわりとなってくれたおかげで、精神的に支えられたのかもしれませんね。
【画像】高橋文哉と母親の親子エピソード
高橋文哉さんは3兄弟の末っ子ということもあり、母親からすれば目に入れても痛くない存在だったことに違いはないでしょう。
働き者でいつ寝ているのかもわからないと、過去に高橋文哉さんは母親について語っています。
ものすごく尊敬し、感謝しているとのことですが、知れば知るほどに高橋文哉さんと母親の関係性が素敵なものでしたのでここから、そんな素敵なエピソードを6つご紹介していきます。
母親とのエピソード①母を目指して料理人の道へ
高橋文哉さんが俳優になる前は料理人を目指していたのは有名な話ですが、母親・ゆきさんを見て「料理人」という夢を志したことをインタビューで明かしています。
母が背中を押してくれたから今の僕があるので。もともと僕は料理人になりたいと思っていて、そのきっかけも母だったんです。小4の時に初めて作った、こげたハンバーグを『美味しい』って言いながら食べてくれたのが始まりです。
https://www.vivi.tv/
小学4年生の時につくったハンバーグを食べた母親の喜ぶ顔が、高橋文哉さんの料理人への第一歩だったのですね。
小さい頃からともにキッチンに立ち、料理というコミュニケーションを通して親子の絆を深めてきた高橋文哉さんと母親のゆきさん。
結果的に「仮面ライダーゼロワン」の主演に抜擢され、芸能の世界に進むことを決めた高橋文哉さんですが、2023年10月期よりスタートしたドラマ「フェルマーの料理」で、念願の料理人役を演じています。
過去の努力がこうして仕事につながっているのはすごいことですよね。
母親とのエピソード②母の言葉で調理免許を自力で取得
高橋文哉さんは、母親から背中を押され調理師免許の資格を自力で取得しています。
というのも、中学生のときに両親が離婚し母子家庭で育った高橋文哉さん。
料理人を目指すためには専門学校に通う必要があります。
母子家庭ということもあり母親に心配かけまいと、高校を卒業後に就職して費用を貯めてから専門学校に通おうと考えていました。
しかし、母親から
と、背中を押され考えが変わり、高校卒業の資格と調理師免許を同時に取れる私立の学校(野田鎌田学園高等専修学校)への進学を選択します。
当時の高橋文哉さんは、奨学金制度を利用しながら通っていたそうですよ。
その奨学金を自ら返済したと、高橋文哉さんはのちのインタビューで明かしています。
中華料理店でアルバイトして奨学金を返しながら、母に少しでも楽をさせたいと、時間がある限り働いた
https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/
そして、2019年3月に野田鎌田学園高等専修学校の調理高等科を卒業。
必死に高校3年間努力しつづけ、負けそうになっても離さず掴んだ結果には感動すら覚えます。
それもこれも、高橋文哉さんの母親への恩返しの気持ちが強かったからだと思われます。
インタビューで高橋文哉さんは、
と明かしているのです。
高橋文哉さんにとって、母親は絶対的信頼を持つ存在だということが伝わる素敵なエピソードですよね。
母親とのエピソード③母の料理が世界で一番おいしい
高橋文哉さんは母親・ゆきさんが作る料理が世界でいちばんおいしいと、たびたびインタビューで答えています。
とくに、カルボナーラは美味しすぎてお店のカルボナーラは食べられないそうですよ。
料理人を目指していたこともあり、ライバル心が生まれたのか高橋文哉さんは母親の作るカルボナーラを超えるために自らも作ったのだとか。
母のカルボナーラを超えたいし、自分で作ったカルボナーラが一番美味しくありたくて、最近は自分でも作っています
https://fast-tokyo.com/
すごい競争心ですよね…!
ちなみに、のちのインタビューでは、すでに母親が作るカルボナーラよりもおいしく作れるように極められたと明かしていました。
負けず嫌いな一面も垣間見れましたが、対抗する相手が母親というところがキュンときますよね。
母親とのエピソード④母は高橋文哉にとってのヒーロー
高橋文哉さんにとって、母親・ゆきさんはヒーローなのだと話していました。
僕にとってのヒーローは母です。もちろん、小さいころは特撮作品はよく見ていて、それはそれで僕のヒーローではありましたが、人生のヒーローっていうとやっぱり母親がいちばんに思い浮かびます
https://domani.shogakukan.co.jp/
つねに働き続けていたという高橋文哉さんの母親・ゆきさん。
料理も上手で、頑張り屋なところが幼いころの高橋文哉さんにとっては憧れの存在だったようです。
ヒーローはいつも必ず助けてくれます。
高橋文哉さんの母親がつねに息子にたいして大きな愛を注いでいたことが伝わりますね。
母親とのエピソード⑤母の誕生日をフルコース料理でお祝い
高橋文哉さんは、母親・ゆきさんの誕生日にフルコースで料理を作っていたことが分かりました。
高橋文哉さんは過去にフレンチレストランで修行していた時期があるのですが、ここまでの腕前とはすごすぎます!
料理人を目指していただけのことはありますよね。
ほかにも、母の日にプレゼントをしていたことも母親が明かしています。
会えなくてもお互いを思いやる素敵な親子エピソードですね!
母親とのエピソード⑥母から10年間誕生日プレゼントがなかった
高橋文哉さんは、10歳から20歳の10年間誕生日プレゼントをもらっていなかったことを自身のラジオで明かしています。
「10歳から20歳までお母さんに誕生日プレゼントをもらったことがなかったんですよ」
高橋文哉のオールナイトニッポン
これだけ聞くと「え?」という疑問が頭によぎりますが、実は10歳の時に犬を買ってもらったのがその後10年間のプレゼントがない理由でした。
その犬を買うときに
- 犬を飼うのはOK
- 自分で買うこと
と、母親から条件を出されたそうです。
命の大切さを教えたかった母親は、高橋文哉さんが自分で責任が持てるようにと、出した条件でした。
とはいえ、10歳の少年に犬を飼うほどの経済力はありません。
そこで、母親から、
と、提案したそうですよ。
この提案を承諾した高橋文哉さんは、無事に念願のワンちゃんを飼うことが叶いました。
と、同時にその後20歳までの10年間、本当にプレゼントはもらえなかったそうです。
ちなみに、21歳からは誕生日プレゼントは再開し、
- 21歳:パキラ(植物)
- 22歳:可愛い植物たちを3つ
をもらったようですよ!
母親とのエピソード⑦母からの手紙が宝物
高橋文哉さんは2023年8月号の「JUNON」にて、母親からの手紙を大切にしていることを明かしています。
その内容は、生まれてから20歳までの高橋文哉さんについてだったようで、便せん用紙2枚にびっしりと母親・ゆきさんの字が並んでいたそうです。
「手書きのもので大切にしているものは?」という質問に、「僕が二十歳になったときに母からもらった手紙」と答えた高橋。「生い立ちから二十歳になるまでのことが、便せん2枚くらいにびっしり書いてありました」
https://news.mynavi.jp/
高橋文哉さんも番組内で母親に手紙を書いていたことがありました。
高橋文哉さんにとって母親からの手紙が宝物ならば、高橋文哉さんからの手紙もまた、母親の宝物になったに違いありません。
文字で気持ちを伝え合う素敵な親子エピソードですね。
母親とのエピソード⑧母のために働く高橋文哉
高橋文哉さんは、母親のために働いているとインタビューで答えていました。
もちろん、日頃の感謝や恩返しも含めての発言ではあるのですが、いつか母親が働かなくてもいいように日々仕事にまい進しているようです。
母には、これからはもっと、僕たちのためだけではなく、母自身のために自由に幸せに生きてほしい。母はまだ仕事をしているので、僕が頑張って、母が外で働かなくていいように支えたいと思います。
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母親からしてみれば、好きな仕事を楽しんでいる姿や大切な人と笑っている姿を見ることがなによりの親孝行だと思うでしょう。
それでも、3兄弟をひとりで育て上げてくれたことに高橋文哉さんは心から感謝しているからこその言葉なのかもしれません。
以上、素敵すぎる高橋文哉さんと母親・ゆきさんの親子エピソードでした。